お家探しのパートナー(いい営業マンと悪い営業マン)

お家探しをする際に重要となってくるのは、不動産の専門家である営業マンだと思います。今回は、不動産売買業に従事する私が本当に大切な営業マンの見分け方を独断と偏見でご紹介します。

 

・あなたの帰宅後の誠実な対応。

基本的に不動産屋の対応は、お客様一人に専属の営業マンが接客する形となるのが原則です。逆に考えるとこの時点で良い営業マンか悪い営業マンのどちらかが強制的に担当になる決定的瞬間であるのです。

この時に店長や副店長等の経験豊富な担当にあたるのか、経験の浅い担当にあたるのかは、どれだけお客様に時間を割くことができるのかが重要となる業界柄あまり重視する点ではないと思います。

本当に重要なのは、あなたが帰宅した後どれだけ誠実に行動してくれるのか、それが一番重要です。

ここであなたの担当が、どれだけ誠実で良い営業マンであるのか確かめる一つの方法をご紹介します。

・定休日に質問メールを一通送信してみる。

基本的に不動産営業マンは、社用携帯を支給されます。ここで本当にお客様のことを思う営業マンであれば、社用携帯を在中しています。(社内規定で持ち帰ることのできない会社もあると思いますが)ここで時間帯は問いませんが、下記のような質問をメールで投げかけてみてください。

  • 次回日程までに必要な持ち物はほかにございますか。
  • 次回までにこちらでもSUUMO等で気になる物件を探しておく方がよいですか。
  • 先日は、ありがとうございました。次回もよろしくお願いいたします。

上記例は今考えた例ですので、少しでも疑問に思う点があればそちらお送っていただくのがベストです。

質問に対しての返答が、1時間以内に返ってきたのなら誠実に対応してくれる営業マンである可能性は高いです。(1日以内に何かしらの返答が来ても信用してもよいと思います。)

これが、休日の2日間アクションがないなどは、素人であるお客様を放置しても問題はないと考える営業マンである可能性が高いです。

 

ここで、定休日にまで返事を強要したくない、休ませてあげてと思う人も多くないと思います。しかし、実際には不動産屋にお問い合わせをするお客様は基本的にはほかの不動産屋にも足を運んでいる可能性が高いです。その中での対応力はお客様にとっても不動産営業マンにとっても重要になってくると思います。

実際に私の周りの営業マンでもなんで休日まで返事しなあかんねん、めんどくさ、などと揶揄する人は多いです。そのような人に限って業務でも手を抜く傾向が高いと思っています。

 

最後に一つの不動産営業マンを選ぶ基準として今回の記事を参考にしていただけると幸いです。では、いい住まい探しを!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

個性とは心の余裕なのかもしれない。

上司は、仕事中常にイライラしている。キャパシティーが少ないのか、常に何かに追われている。ただ、業務が終わると人が変わったかのように優しい人間へと姿を変えるのだ。大なり小なりあるがこれは、多くの人にも当てはまるのではないかと思う。私も例外ではない。余裕のある人間は、どのような状況に立っても冷静に判断し、冷静に答えを導き出すのだ。しかし、そんな人間はどのくらいいるのか。いや、果たして存在するのか。

たとえば、一生出ることのできない巨大なアリジゴクにほっぽり出されて自身の死がまじかに迫った時、人のことを考える余裕は生まれるのか、それは無に近いだろう。人間は結局自分自身をかわいがり、自身の幸せを一番に考え、そのあとに人であり、他人の幸せを祈るのである。それは何も悪いことではない。むしろそれが現時点では正解であると思う。もしかすると世界の権力者も政治家も自身を守ることに必死になってるかもしれない。もちろんすべての人がそうあるのではないが。

実際学校という枠組みを離れて、多くの人と出会い、かかわっていくと思った以上にみんながみんな多くの個性であふれていたことに気づいた。

人間は心にゆとりがあれば、その個性だったり、その人だけが持つ何かを最大限に発揮できるのだと思うのだ。しかし、社会に疲れ、上層部からの権力におびえ、そんな状態でいれば、みんな同じように見えてしまう。不思議だ。まるでロボットである。

みんな変わった個性を持っていて、みんな魅力的である。だからこそほんの一時間でいいから自分が本来の姿でいれる時間を見つけていただきたい。それが本当のあなた自身であり、私であると思います。

では、今日もバンドメンバーとの練習に行ってきます。この時が一番私らしい気がするのです。

自分を好きでいること。

目標にめがけて飛び込む、それはしんどい、苦しい、辛い。

多くの感情にがんじがらめにされて、本来描いていた希望も遠のいた気がするほどである。

ただ何かに向けて取り組むことは、確実に自信を成長させることができるし、将来なっていたい自身へ近づくための近道であることは確かである。一つのレールの上を歩きながら見つかるものも多いが、ある意味では、あえて踏み外してみるとそもそものステージとはまた違う空間が見えてくると思う。だからこそ挑戦の大切さは多くの書籍やYouTube、テレビなどでも語られてきたのだと思う。

吐き捨てるように文字を書き、出てきたのがこの言葉であり、文章、それは一見見ると恥ずかしく見えるかもしれないが、自身の言葉をありのままに綴ったもの「裸の心」なのかもしれない。

人は自分自身が大好きで、もちろん僕自身も例外ではない。「自分が大好きだ」だからみんな自身の嫌いな部分が許せないのだと思う。書いても結論の出ない文章をどこまでも書き続けても結局答えにはたどり着かない。であれば、どの道を選んだとて同じことであり、踏み外そうが、レールの上を歩こうが、いや、もともとレールなんてないのかもしれない。原則があって例外もある。法律はそうかもしれないが、人生はすべてが例外である、だから自身と向き合い続けることである。人に固執しても例外続きてコントロールなんてできない。

私は私自身が好きで、あなたもあなた自身が好き、それだけでいいと思うんです。

その考え方を持てれば世界ももう少し平和になるのかな。逆に自分本位になる人がふえて荒れる可能性もあるかもしれない。想像もできない、だから自分自身を好きでいよう。