個性とは心の余裕なのかもしれない。

上司は、仕事中常にイライラしている。キャパシティーが少ないのか、常に何かに追われている。ただ、業務が終わると人が変わったかのように優しい人間へと姿を変えるのだ。大なり小なりあるがこれは、多くの人にも当てはまるのではないかと思う。私も例外ではない。余裕のある人間は、どのような状況に立っても冷静に判断し、冷静に答えを導き出すのだ。しかし、そんな人間はどのくらいいるのか。いや、果たして存在するのか。

たとえば、一生出ることのできない巨大なアリジゴクにほっぽり出されて自身の死がまじかに迫った時、人のことを考える余裕は生まれるのか、それは無に近いだろう。人間は結局自分自身をかわいがり、自身の幸せを一番に考え、そのあとに人であり、他人の幸せを祈るのである。それは何も悪いことではない。むしろそれが現時点では正解であると思う。もしかすると世界の権力者も政治家も自身を守ることに必死になってるかもしれない。もちろんすべての人がそうあるのではないが。

実際学校という枠組みを離れて、多くの人と出会い、かかわっていくと思った以上にみんながみんな多くの個性であふれていたことに気づいた。

人間は心にゆとりがあれば、その個性だったり、その人だけが持つ何かを最大限に発揮できるのだと思うのだ。しかし、社会に疲れ、上層部からの権力におびえ、そんな状態でいれば、みんな同じように見えてしまう。不思議だ。まるでロボットである。

みんな変わった個性を持っていて、みんな魅力的である。だからこそほんの一時間でいいから自分が本来の姿でいれる時間を見つけていただきたい。それが本当のあなた自身であり、私であると思います。

では、今日もバンドメンバーとの練習に行ってきます。この時が一番私らしい気がするのです。